「安息」

 天使は神の使いではない。我々の言う天使は、あなたが「天使」と聞いて思い浮かべているようなものとは違う。断じて違う。


 まず、その姿かたちについて語るとする。私が目にした天使は、息を飲むほどに美しい姿をしていた。有名な彫刻家が大理石を彫って作り上げた作品を思い浮かべて欲しい。我々のそばにいる天使は、それらに生命を吹き込んだと言われれば、疑わずに信じてしまうほど、荘厳な姿かたちをしている。白く大きな翼をもち、頭上に光の輪を載せ、純白の柔らかな衣を纏う。ここまで述べたうちでは、あなたは、自分が知っている天使と何ら変わりはないと言うかもしれない。天使は、古から人々のそばにある。あなたが知るものも、もしかすると私が知るものが、過去にあった頃の姿なのかもしれない。ただ、そばにある天使たち。我々人間にとって、決して良き隣人ではない。物語に出てくるように、神託を寄越すわけでもなく、寄り添い慈しみを向けるのでもなく、救いの手を差し伸べるわけでもない。ちいさくて、ふわふわと柔らかい心地をしていそうなあの手は、その実死人のように冷たく、悪魔のように恐ろしいものである。天使たちはその手をもって、躊躇いなく我々を屠るのだ。


 要するに、美しい天使たちは、ただの殺人者である。天使たちは我々人間を殺すためにあり、我々人間は天使たちに殺されるためにある。この世界はそういう仕組みになっている。


 今日も天使たちは、冷たい手で我々を掴む。鷹にさらわれる子ネズミのように、軽く我々を持ち上げると、そのままビルより高く飛び上がり、空でその手を離していく。プランター育ちの熟れたトマトが、熱されたアスファルトへ落ちる音が分かるだろうか。ぱんぱんに膨らんだごむまりに、圧をかけて破裂させた音が分かるだろうか。天使のように翼を持たぬ我々人間が、高所から突き落とされ地に叩きつけられる際には、それら二つを混ぜたような音がする。つまり、炸裂音に醜い水音が混じったような、それは大層面白みのない音が出るのである。天使たちはそれを見て、声を上げて笑うのだ。天使たちの笑い声は、明るく弾けて光るものではなく、悪意や侮蔑といったものが含まれ、聴いた者の心の奥底に暗い色を染み込ませる類のものである。まだ虫を踏み潰して遊ぶ幼い子供の方が可愛げがあるといえるだろう。


 我々は今日も地に落とされる。昨日自分の横を駆けていた顔が、理想を語り合って意気投合した仲間が、地面のシミになっていく。個々の判別が不能な生ゴミになっていく。それを回避するためには、恐ろしい天使から逃げ続けるしかない。惨めったらしく地の上を這い、明日も命があることを祈るしかない。


「天使は翼がつかえるので、屋内にいれば安全だ」


 ある日誰かが口にした。一部の人々はそれを信じた。こぞって屋内へと避難し、扉を閉め、窓を閉め、カーテンも閉め切って、閉じこもったのだ。


 ただ屋内へ閉じこもることが、真に得策だと言えるのだろうか。


 古くから、我々は家の中に住んでいた。しかし、天使はどこからともなくやってくる。翼がつかえて部屋に入って来られないのなら、私の妻や娘は連れ去られなかったはずだ。泣き叫びながら、地へ落とされることなどなかったはずだ。


 わらわらと集まりだした天使たちは、閉め切っていたはずの窓からするすると侵入し、内側から鍵を開いて窓を開く。一箇所にあれほど多くの人間が集まれば、それはただの餌場と化すだろう。あたらしい玩具を得た子供のように、生肉にたかる獰猛な猛禽類のように、天使は人々をさらう。今日も地面は飛び散る屍肉と血痕を吸い、腐敗臭を漂わせる。天使に殺されたく無ければ、賢く逃げ回る以外に手立てはない。我々がいくら頭をひねろうとも、天使たちはただ、赤く醜い臓腑が詰まった肉袋が、地に打ち付けられ破裂する様を楽しみたいだけなのだから。


「天使を避けを作れば良い。コンパクトディスクを吊るすのだ」


 別の日、別の誰かが口にした。それを口にしたのは老人だった。昔もこうして避けたものだと言いながら、彼はベランダにディスクを吊るした。陽光を反射して、ギラギラと眩しく虹色に光るそれは、果たして本当に役立つのだろうか。もし避けるべくが害鳥あたりだったのなら、効果は十分にありそうだ。しかし、 この方法が有効ならば、彼の言う「昔」から今に至るまで、広く知られ行われているべき手段であるだろう。老人は外にディスクを吊るし、隠れるようにして部屋の中にいた。彼はどのくらいの間、天使から身を隠していられると想定していたのだろうか。彼がディスクを吊るして一時間も経たないうちに、ベランダには天使が降り立った。降り立った天使は一体ではなかった。ギラギラ光るディスクが目印に、数体の天使たちが集まって、あっという間に彼を部屋から引きずり出してしまった。宙に持ち上げられた彼を、天使たちは取り合った。突き落とすのは自分だと争う姿は、少しばかり醜かった。もがく老人を天使が奪い合う。遂には二体の天使たちが、左右に彼を引き合って、その体を割いてしまった。天使たちの纏う衣が彼の血で汚れる。純白の衣を汚してしまった天使たちは、ひどく虫の居所が悪いようだ。すぐに次の獲物を探しだす。そうして彼らに捕まったのは、偶然付近を通りかかった女性だった。不運にも突き落とされた彼女は、見知らぬ老人の屍肉のそばで、誰のものか分からない肉塊の一部となったのだった。


「天使を遠ざけるには、歌えばいいのよ」


 知らない女性が口にした。我々人間が天使から逃げ延びるには、互いに協力しあうべきだ。そのためにはどうすればよいか、我々は意見を交換しあっていた。歌えばいいと言い出した彼女へ、別の誰かが心無い声を掛け始める。どうせ嘘に決まっている。そんなものはでたらめだ。本当に天使を遠ざけられると証明して見せろ。意見を交換しあっていたはずの彼らは、次第に口論となっていった。次々と大切な人が殺されて、次は自分の番かと怯える日々。危機を避けるために効果があるといえる画期的な方法はなく、恐怖に怯える我々には、吐き出す場所のない鬱憤がたまっている。彼らの気持ちが分からないでもない。しかし、ここで言い合ったところで、それが何かの解決になるわけでもないのだ。ほら、天使がすぐそこまで来ている。口論の声を聞きつけて、仲間を集めた天使たちが、すぐそこまで。




「安息の地を目指して」


 誰かが呟くように口にした。


 それをさいごに呟いたのは、一体誰だったのだろう。本の中の英雄か、名前も知らぬ誰かか、死にゆく老人か、隣に座っていた気性の荒い男か。いいや、いつも私を愛してくれた妻か、人々を突き落とす天使か。それとも私自身だったか。


 我々人間は弱く醜いものだから、あの美しい天使たちに殺されなくてはならないらしい。自ら命を絶つことと、天使に屠られること、この二つに違いはあるのだろうか。いつか訪れるであろう安寧と、幸福に満ち足りた安息の地を、我々は夢に見ているだけ。最後に天使とともに空を飛べるのなら、それも良いかもしれない。地面が近づくまでの間はとても長く感じるのだそうだ。それは真実であるだろう。おそらく、ある種の走馬灯のようなものなのだ。まるで時間が止まっているように感じる間に、きっと人々はさいごの夢を見るのだろう。空と天使が遠ざかる。私は惨めに地へ落ちる。打ち付けられる寸前に、私は幸福に満ち足りた夢を見るはずだ。


天使から逃げるには、天使のいない世界へいくしかない。

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