「赤い霧と銀の森」―第6話―

「今回の任務は簡単です。対象の一名は逃亡した、もしくは既に死亡している可能性があります。君たちは対象一名を処分したのち、先遣隊の八期の遺体とあわせて回収してきなさい。もし森からの脱出が叶わなければ、自決すること。方法は教えたね?」


 白衣の男の言葉に三人の少女は頷いた。

 揃いの服を渡され各々袖を通していく。機関の紋章を模したピンバッジは、白衣の男が手ずから付けた。まだあどけなさの残る少女たちを、これから危険な土地へ送る。恥ずかしそうな、嬉しそうな顔をして新しい服に喜ぶ少女たちを前に、同行する二名の男性たちは浮かない顔でいる。


「君たちは、この子達を送り届けたあと森の入口で待機するように。遺体は必ず全て回収し帰還すること」

「所長の命令とあらばそうしますが……もしこの子達が全員そうなったらと思うと」

「森の中まで同行しても構いませんよ。その場合の責任は負えませんが」


 二人は顔を見合わせた。二人が言いたかったのは、どうしてこの少女たちはわざわざ死体になるために遣わされるのかということだ。自分たちがこの少女たちを死体にする手伝いをしている気がしてならない。これまで一人も帰ってきたことのない土地へ、再びこの少女たちを送るのだ。みたところ、十四かそこらの少女たちだ。簡単に捨てていい命ではない。


「先生! 先生は、私たちが死んだら悲しんでくれる?」

「もちろんだよ」


 少女たちは顔を見合わせて微笑みあった。嬉しそうに飛び跳ねたり、スカートをはためかせてクルクル回ったり、少女たちは忙しい。曲がったリボンを直しあい、髪を整えあっている。くすくすと笑いながら、少女たちは語り合う。


「土の中で眠る時には可愛い服を着せてもらえるんだよ」

「これよりも可愛い服なの?」

「そうだよ! 真っ白でふわふわ、フリルたっぷりの可愛い服! だって、この間は七期の子も着てたもの」

「楽しみだね、私たちももうすぐ着れるのかな」


 白衣の男は、少女たちに手招きした。少女たちは彼の前に並んだ。彼は腕を広げ少女たちを抱きしめて、少女たちだけに聞こえるように言った。


「レイス、フラン、カタリナ、必ず三人揃って戻ってきなさい。君たちのお父様と一緒に帰りを待っているからね。私は、君たちが初めての帰還者になることを信じている」


 少女たちは笑顔で抱きしめ返した。革製のトランクケースは少女たちが持つのにぴったりな大きさに仕立てられたものだ。吸血鬼が苦手とされる物や、野宿用の簡単な道具、小さな空き瓶がいくつか入っている。仕事道具を詰めた鞄を各々肩にかけて、揃いの衣服に身を包んだ少女たちは同行者と共に銀の森へと向かった。




 道中、少女たちは年相応に談笑していた。初めて見る景色に興味津々のようで、これまで学んできたものと実物とを擦り合わせては楽しんでいるようだった。あの施設で生まれ育った少年少女たちは、狭い建物の中しか知らない。目に映るもの全てが新鮮なようで、看板をひとつ見ただけで大盛り上がりだった。

 無邪気に楽しむ少女たちは、外に出るこの機会が最初で最後になるかもしれないのに。

 少女たちは皆、琥珀色の瞳をしている。吸血鬼を見つけ出すための道具として生み出された、吸血鬼と人間の混血児であるダンピールたちだ。髪の色や肌の色、顔立ち、声、全てが人間と大きな違いはない。特異に感じるのは瞳の色と、華奢で性差が感じられない体型くらいだ。


「二人とも、私たちが探しにいく子の名前、覚えてる?」


 暗い髪を後ろで束ねたレイスが言った。道が悪く車は揺れる。車内の壁に体を軽くぶつけるたびに、レイスは体を擦りながら顔をしかめていた。しかし、ほかの少女たちはその揺れさえも、声を上げて楽しんでいる。


「もちろん知ってるよ、レイス。“アラード”でしょ。きっと迷子になったんだよ。早く見つけてみんなで帰ろうよ。先生も待ってるし!」


 肩で切りそろえた黒髪のカタリナが言った。足をパタパタさせるカタリナは機嫌がいいらしい。座席に膝で立って車窓から外を覗いたり、窓から手を出して風を掴んだりしている。危ないから身を乗り出すのはやめてくれよと運転手に言われて、はーいと間の抜けた返事をした。


「でも、アラードはもう……」


 フランチェスカは続きを話すのをやめて、カバンを抱えて押し黙っている。柔らかくうねる明るい金色の髪は、赤い大きなリボンと一緒にふわふわと風になびいていた。レイスとカタリナは、不安そうな目をするフランチェスカに寄り添った。


 少女たちを乗せた車は、街をいくつか通り抜けた。途中の街で休憩をとった時には、少女たちは街の景色や食べ物に目を輝かせていた。同行している男性たちは、その姿を見て心を痛めた。

 ――少女たちを今ここで逃がし、街で暮らせるようにした方が幸せになれるのではないか――。

 早く行こうよと手を引く少女たち。一行はまた車へ戻り、郊外へと向かう。


 冷たい空気が張り詰める森の入口。

 緑の葉は森の奥に向かうにつれて雪が降り積もったように白くなっていく。広がるのは鬱蒼とした森林ではなく、早朝の雪景色のよう。薄く霧のかかった白銀の幻想的な景色だ。


「ここまで運んでくれてありがとう。お兄さん達はここで待っててね。帰りはよろしくね」


 車から降りた少女たちは、同行した男たちが霧を吸い込まないようにマスクをつけさせた。マスクは大人用の二つしか用意されていない。男たちが少女たちにマスクを渡そうとすると、少女たちは「私たちの鼻が利かなくなっちゃう」と言って断った。少女たちは仕事道具の鞄を肩にかけると、手を振って銀の森へと足を踏み入れた。


「あ……あの子たち、台車を持っていかなかったが大丈夫か?」


 少女たちははぐれないように手を繋いだ。吸血鬼の匂いが濃くなる方へと向かっていく。森を満たしているはずの赤い霧は薄く、少女たちを追い出そうとする動きは見られない。足元の悪い森の道を、少女たちは迷わず進んで行った。途中すれ違う動物の気配は、遠くから少女たちの様子をうかがっていた。


「何か違う匂いがする」


 レイスはそう言うと、カタリナとフランチェスカの手を匂いのする方へと引いて歩いた。レイスの隣のカタリナは同じ匂いを感じ取った。フランチェスカは手を引かれて移動ペースが速くなったことに戸惑って、足がもつれそうになっている。レイスが更にスピードをあげると、フランチェスカは転んでしまった。カタリナが繋いだ手を引き上げて起き上がるのを手伝うと、涙目になりながらフランチェスカは立ち上がって、足並みを揃えて歩き始めた。


 たどり着いた先は開けた空間だった。気がいくつか切り倒されてそのまま転がっている。葉や茎だけでなく、この森の植物は木の幹まで白い。雪の降り積もったような地面の上に、いくつかの塊が落ちていた。その周囲に落ちていた物には見覚えがあった。

 布の切れ端や木片とガラス片。一部が布にくるまれている塊には虫が集っている。その布には、機関の紋章を模したピンバッジがついていた。

 少女たちの力では全てを回収できない。一部を小瓶に入れると、周囲に目印をひとつ立てた。


「レイス。これ、“アラード”?」

「いや、ピンの刻印の番号が違う。この番号は八期だ」

「あ、ほんとだ。ねえ、ここで休憩にしようよ。フランがもう歩けないって」


 ここにたどり着くまでに何度も転んだフランチェスカは、膝や手のひらを何度も擦りむいて、スカートの裾は草や土で汚れていた。周囲の調査をしていてもずっと泣いていて、時折手が止まっている。


「フランが私たちの中で一番成績がよかったのに、一番足を引っ張ってる」

「カタリナ」

「だってほんとのことだもん」


 シルムは持参していた飲水でフランチェスカの傷を洗い流してから、痛み止めを塗ってガーゼと包帯をあてた。フランチェスカの手当を終えてから、少女たちは軽食をとった。隣には同胞の腐敗した死体がいくつか転がっている。

 レイスが火を消して片付けをしている間、フランチェスカとカタリナは花でも眺めるかのように穏やかな様子で死体に集る虫をぼんやりと眺めていた。翌朝同じベッドで眠っていた同胞が冷たくなっていた、なんてことが日常茶飯事だった彼女たちは、死体や傷口、病変などに何の抵抗もなかった。笑い合う少女たちは、花かんむりを編んでいるのではなく、自分の指に蛆を這わせて遊んでいる。


「ねえ、八期の子たちのこと、どうやって運ぶの……? 台車は置いてきちゃったし」


 フランチェスカが小さな声で聞いた。シルムとカタリナは顔を見合わせる。二人は台車を忘れたことに気がついていなかった。


「貸してもらおう」

「どこで?」


 シルムが指をさしたのは、少し離れた先にみえる邸宅だった。赤い霧が濃く集まっていて近寄り難いが、入り口近くに置いた車まで戻るよりは、視認できる邸宅の方が近くにある。銀の森深くにある邸宅といえば、吸血鬼が住まうあの屋敷に違いない。

 霧が薄かったのはこの辺りまでだ。ここから先に進めば、戻れないかもしれない。森を迷えば指示通り自決を選ぶことになる。野生動物に見つかれば確実に殺されるだろう。吸血鬼と遭遇しても、無事でいられる保証はない。少女たちの鞄に詰められた対吸血鬼物品は、効果が実証されたものではない。そもそも、逃げることを教えられていない少女たちは、己の命を守るすべすら知らない。


 野営場所から屋敷の近くまでは、不思議なことに比較的道が整っていた。広大な土地に広がる薔薇の庭園は、隅まで手入れが行き届いていて、美しい花が咲き乱れる。白銀の枝の先に開いた薔薇は、周囲との対比でより一層鮮やかに見えた。まるで、白いキャンバスに赤い絵の具の粒を落としたよう。地面に落ちた暗い色の花弁は、血痕によく似ていた。

 森の中ではどの野生動物よりも赤い霧が一番危険であり、避けて通るようにと教えられていた。そのため、少女たちは霧を避けた道を通ってきたが、霧も少女たちを避けているようだった。赤い霧は少女たちを避けるように、少女たちが進む道とは逆の方向へ集まっていく。

 迷路のような庭園を何事もなく抜け、少女たちは屋敷の扉に辿り着いた。


 レイスは背伸びをしてノッカーで扉を打つ。


「すみません、どなたかいらっしゃいませんか。台車か手押し車を一台貸していただきたいのですが」


 何の返事もない。留守かもしれない、と少女たちは顔を見合せた。もう一度扉を叩こうとレイスがつま先立ちになった。

 すると、扉はゆっくりと開いた。

 扉が開いた先には森の植物と同じ色をした使用人と思しき女性がひとり立っていた。まとめた白銀の髪は花のつぼみのようだ。片目を布で隠し、質素なエプロンドレスを身にまとった凛とした佇まいの女性だった。彼女は少女たちを見つめる。


「はじめまして。私たち、この森に忘れ物を取りにきた者です。大きな荷物ですから、台車か手押し車を一台貸していただきたくて」


 レイスはお辞儀をして礼儀正しく挨拶をした。それに続いて、カタリナとフランチェスカも一緒に挨拶をした。扉を開いた女性はそれを目にして、扉を押さえているのと反対の手のひらを少女たちに向けた。それから、ポケットからベルトを取り出すと、小さく振って二回ずつ、三回繰り返して音を鳴らした。

 屋敷の奥から靴音が響く。使用人と思しき女性は、扉を大きく開いた。少女たちは、中へは入らずそのままの位置で待っていた。


「私は疲れているのに、本当に上客なの?」


 奥から聞こえる声に、白い女性は指先で扉を三回ほど叩いた。その音を聞いて、姿の見えない声の主は「そう。違ったらまた追い出すから良いわ」と返した。


  姿を現したのは、レイスたちと歳の近い少女だった。束ねられたくすんだ薄紅色の髪。落ち着いた暗い赤色のドレスは、大きな屋敷に反して控えめな装飾だった。屋敷の主と思しき少女は、訪ねてきた少女たちを吟味するように見つめた。淡い色の瞳は、水に絵の具を溶かしたようにふわりと中心から色が広がり、光の加減のせいか妖しく赤く見えた。その目で見つめられたレイスたちは、底知れぬ恐怖に似た何かを覚えたと同時に、ひとつ確信した。


「何の用?」

「……はじめまして。私たち、この森に忘れ物を取りにきた者です。運び出すために、台車か手押し車を一台貸していただきたくて、お願いに参りました」

「そう。ひとつでいいの?」


 赤い目の少女は穏やかな声色で答えた。レイスたちには、この少女が吸血鬼だと分かった。纏う香り、彼女たちだけに見える瞳の色、それらはこの少女が吸血鬼だと物語る。瞳を見ただけで心臓を掴まれたような感覚を覚えた。


「ひとつで、足ります。必ずお返しします」

「庭の物置の横にある、持って行っていい。けれど、貸すには条件がある」


 吸血鬼の言葉に、少女たちは固まった。タダで貸してくれるほど条件が良いはずはないと思っていた。金品を要求されても少女たちに差し出せるものはない。相手は吸血鬼なのだから、血を差し出せと言われるかもしれない。それだけでなく、体の一部を渡せと言われる可能性もある。何を要求されるのかと身構えていると、吸血鬼は柔らかく唇を曲げて口角を少し上げて見せた。


「一人置いていきなさい」


 一人の少女を指さしながら、吸血鬼は言った。

 逃げ出すことを知らないダンピールたちは、吸血鬼の赤い目を真っ直ぐに見つめていた。

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